キリスト教宣教師たちが官能的なタヒチアンダンスを禁じる時代が60年ほど続きましたが、そんな中でも、タヒチの人々は密かにダンスの伝統を守り続けていました。
その後、徐々に規制が緩むと、数々のタヒチアンダンスグループができるようになり、公にダンスを披露する場も増え、7月のお祭りでダンスコンクールが行なわれるようになりました。
そして、1984年、フレンチポリネシアで自治統治が始まるとともに、7月のお祭りは「ヘイヴァ・イ・タヒチ」と定められ、そこでのタヒチアンダンスが本格的に復興、今に受け継がれています。
このタヒチアンダンスに欠かせないのがタヒチアンミュージック。
トエレをはじめとしたタヒチアンダンスの楽器が奏でる情熱的な音にも、やさしく軽やかなウクレレの音色にも強く心を魅かれることでしょう。
■タヒチアンのアイデンティティを象徴するタトゥー
タヒチでは、古来より、成人の儀式として入れ墨を入れる習慣がありました。
強さや勇気を示したり、病気や不幸から守ったり、美しさの象徴や社会的身分を示すものとされ、そのモチーフは、出身地や家系に基づいて、幾何学模様や動物、ティキなどの形が施されていました。
男性が全身に入れ墨を施す習慣があったマルケサス諸島では、入れ墨文化は色濃く残っており、現在の多くのモチーフにその形が受け継がれています。
今では、多くの人が自らのアイデンティティの象徴として入れ墨を入れています。
■脈々と受け継がれる伝統工芸 PARAU&PUPU(貝細工)
民族衣装のパレオ、植物繊維で編んで作る工芸品など、タヒチには、その文化に育まれ、今に伝わる伝統工芸がたくさんあります。
7月の「ヘイヴァ・イ・タヒチ」では、その技法を競うコンクール「ヘイヴァ・リマイ」が開かれるなど、脈々とその文化は受け継がれています。
「貝殻の一枚は大きな天の半球となり空となった。もう片方の貝殻を砕くと、おびただしい数の岩と砂となった。そこに神は、大地や植物、海、そして人間を創った」
タヒチに伝わる神話の中で、世界の始まりは貝だったというものがあります。
人々は、海からの美しい贈り物に、万物創生の小宇宙を見出していたのかもしれません。
タヒチの人々はみんな、貝をとても大事にしています。
人を見送るときやお別れのとき、貝のレイを首にかけ、その後の幸せを祈る習慣もあります。
PARAUは黒蝶貝、PUPUは小さな貝という意味。
PARAUは、昔は、儀式での神官の衣装や釣り針などに用いられてきました。
現在は、表面をきれいに磨いた貝細工は、インテリアとして取り入れたり、アクセサリーやタヒチアンダンスの衣装などに使われています。
一方、PUPUと言われる小さな貝には、実にさまざまな色があります。身につけることで、危険から身を守ってくれると言われている貝殻は、アクセサリーの材料として欠かせないものです。
■PAREO(パレオ)
古来、布がなかった時代には、タヒチの人々は「タパ」と呼ばれる樹皮布をまとっていました。
これをPAREU(パレウ)と呼んでいたのがパレオの始まりで、タヒチの民族衣装です。
パレオは、染料に浸して、そのうえに植物やお花、貝などのモチーフを上に載せて日干しする手染めパレオ、生地に絵を描いて日干しする手描きパレオ、版画のようにプリントするプリントパレオなどの種類があります。
モチーフはさまざまで花、植物、風景や魚、亀、タパ柄を入れたものも、色合いはとても鮮やかで美しいものです。
タヒチの人々にとって、パレオは日常アイテム。
離島では今でもこれが日常着です。
Tifaifaiとは縫い合わせるという意味の言葉で、キリスト教宣教師の妻たちによって、パッチワークが伝わると、タヒチアンマミーたちは身近な植物や花などをモチーフに、独自の感性を加えてキルトを作るようになりました。
このTifaifaiは、ハワイアンキルトのルーツとも言われ、タヒチのインテリアや日用品として欠かせないものです。
昔は、王様の毛髪を大切に包んだり、肩車をするときに従者が方に掛けたりと、特別なものとして使われてきたTifaiaiは、今では結婚や赤ちゃんの出産祝いに贈ったり、お葬式に使われることもあるなど、人の生涯とは切り離せないものとなって日常的に使われています。
ポリネシアン・スタイルの結婚式では、このTifaiafiで新郎新婦二人を包みこみ、永遠の愛を誓うという儀式が行なわれます。